スポーツ

W杯に思う

ドイツW杯、ジーコジャパンの戦いは2006年6月23日、終了しました。

戦いの内容に関しては専門家がたくさん分析していますので、そちらを。
なので、今回はその周りの狂想について語りたいと思います。

今回も多くの人がそうであったようにマスコミの報道によって日本代表が世界でもトップクラスの実力を持った集団であるという錯覚に陥った人がいたと思います。

もちろん夢を見るのは構わないと思います。
応援することはもちろんいいことです。でも度を越した期待は周りで聞いていてもあまりいい気がしません。
正直、クロアチア戦辺りから試合前のゲストが来てどうちゃらこうちゃら喋ってるのを聞くのが苦痛になってきたのです。

応援するのとヨイショするのは違うと思います。
司会、そして進行役の人が解説者に向かって「勝てますよね?」と聞くのは間違っています。
そんなこと聞かれて番組上「いや〜無理ですね」なんて言えるわけないじゃないですか。

戦力を冷静に分析して視聴者にそれを提供してこそ、前説番組の意味があるんじゃないでしょうか?
もちろんそのヨイショを聞きたくてその番組を見る人もいるかと思いますが、個人的にはそういう人ばかりではそれこそ日本代表(サッカーだけでなくね)はダメになっていく一方だと思います。

と同時に敗戦の瞬間(一部W杯前から)に主要な紙面でいっせいに

「ほらみろ、だからジーコじゃダメだったんだ」

的な意見を書いてた輩がいますが、まあ相変わらず日本のマスコミは汚いねぇ、としか思えないんですよ。
結果が出た後なら誰にでも何とでも言えるっつーの!「選手任せ ありえない」とかね。選手起用でも後から言ってるやつの多いこと。
なんでジーコ在任中にそれを言わない、と。選手起用だってそれぞれの試合直後に言えばいいじゃないか。

だいたいがジーコが就任したときにドイツもコイツも期待に胸を膨らませていたじゃないか。

確かに色々と不満な采配はありましたが今にして考えると彼の采配には一貫性がありました。それも愚直なまでに。

基本的には攻撃的にやりたかったはずです。ジーコの頭の中では。
だからこそ緒戦のジャマイカ戦に中田英、中村、稲本、小野という「黄金の中盤」を擁し、「海外」に認められた攻撃陣を例え結果が出なくとも使い続けた。
そしてそれ以上のストライカー久保が現れたときも体調が整わず代表参加が出来なくともとにかく代表に呼び続けた。

惜しいのは選手たちがそれに応えることが出来なかったということでしょう。

中田英が予選突破を決めた直後に言っていた、「まだこのチームは本戦を戦って勝ち抜けるチームじゃない」という発言が図らずも当たってしまったのは、選手個々の意識が結局アジアでのお山の大将
の域を超えることが出来なかったこと。そして、マスコミだけでなく日本人全員の浮かれ具合が招いた結果でないかと思うのです。

それから日本のマスコミの嫌いな面がまた出ました。

中村俊輔がW杯後に家族と旅行に行っているのが、「戦犯の分際で何を浮かれているのか」みたいな書かれ方をしてました。

アホじゃないんか?

W杯代表だろうがなんだろうが、もう「日本にとってのW杯」は終わったんです。
たとえ戦犯だろうが、彼はもう一人の私人として行動してるんです。
久しぶりに日本に帰ってきて家族と旅行に行くのが何故悪い?
そして何故それをお前らマスコミが裁く権利があるのだ?

逆に聞くがじゃあW杯でどれくらいまで勝ち進めば家族と旅行に行ってもいいのですか?

あの記事を書いた人、載せた雑誌は答える事ができるのでしょうか。

もちろん誤解して欲しくないのは、俺も少なからずW杯という出来事を前にして浮かれていなかったかというと決してそうではないし、根拠なく日本は一次リーグを突破できると思っていました。

それは自分でも恥ずかしいと思っています。
冷静な分析力を欠いていたといわざるをえません。反省です。

しかしそれにしても日本人という体質に辟易するのです。
喉もと過ぎれば暑さを忘れるというのにも程があります。

もちろんフーリガンのように負けたら暴れるとか、ブラジル国民のように代表選手に罵声を浴びせるというのも日本人体質には合わないと思います。

代表に厳しくそして温かく見守ることができるサポーターでありたいと痛感したドイツ大会でした。

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